現代文に文句を言うブログ

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現代文と他の科目との決定的な違い。

こんにちは。

 

今回は、現代文と他科目との違いについて説明します。

 

他の科目(英語・数学・理科・社会)は何となくできる(できないことへの疑問が生じない)んだけど、国語、特に現代文は何をどうすればいいのか全くわからないという方は少なくないのではないかと思います。

 

なお、英語・古文漢文の読解問題や、歴史の記述問題も現代文と似たところがありますので、それも「現代文的な問題」としてお考え下さい。次回以降に説明しますが、この「読解」という言葉が非常にやっかいです。

 

 

他の四科目に必要な2ステップとは?

 

他の四科目は、問題を解くために、次の二つのステップが必要です。

  1. 必要な知識を知っていること(道具を持っている)
  2. 必要な知識を正しく使えること(道具を使える)

 

必要な知識とは、言い換えれば教科書の内容(+α)です。

  • 数学や理科なら公式やその証明。
  • 社会なら年号と人物、出来事。
  • 英語なら単語の意味、アクセント、文法事項など。

 

必要な知識を知らなければ、問題は解きようがありません。斧ものこぎりも馬鹿力もワンパンチもなければ、木を倒せないのと同じことです。

 

解けない問題があったとして、問題の前でうんうん唸っていても何も思いつかず、答えを見てもイマイチぴんと来ない場合、それは解答に必要な知識を知らなかったということになります。

 

例えば、英語や古文について、

  • さっぱり理解できなかった問題があったとして、まず、その問題文のなかで意味を知らない単語を、すべてマーカーか何かでチェックしてみてください。
  • そして、それらの意味を調べ、チェックされた単語の下にその意味を日本語(現代語)で書き込んでみましょう。
  • その後にもう一回文章を読み直し、すらすらと読むことができたなら、それは必要な知識が足りなかったということになります。

 

また、数学なら、

  • 答えを最初から読んでみて、わからないところを教科書で調べ、足りない知識(公式や証明)を知った後で、もう一回答えを見直してみて、その答えが理解できれば、その問題が解けなかった原因は知識不足ということになります。

 

受験生の皆さんに伝えたいのは、問題が解けない理由が知識不足の場合、その科目が得意とか不得意とかいうことは関係ないということです。知っているか知らないかの問題です。

 

その知識を蓄えることへの意欲に関して、その教科への好き嫌いが関わってきますが、それはまた別の機会に話します。

 

なぜ他の科目は何となくできてしまうのか?

 

そこで、なぜ他の科目は何となくできてしまうのかですが、

それは、

その「必要な知識」がまだ知らないことだからです。

 

「他の科目は何となくできてしまう」とは、「他の科目にはできないことへの疑問が生じない」と言い換えることができます。

 

受験生になって問題を解けるようになる必要が出てくれば、問題が解けない⇨答えを見る を繰り返すうちに、自然と必要な知識を覚えていくのです。問題が解けるようになりたいから。

 

そして、その知らない知識が補充されれば、解けなかった前回に比べれば解けるようにはなっているので、自分の成長を少しでも感じることができます。

 

(色々な科目で行き詰まっている方は、「自分が何をわかっていないのか」「何がわかれば解けるようになるのか」を意識して勉強すれば、知らなかったことが注意され、知識が積みあがっていきます。それは、勉強する前に比べて、量的に進歩しているということです。)

 

さらに言うと、②の使い方というのも、知識として覚えてしまうことが可能です。「知識を使うこと」を最も求められるのは数学かもしれませんが、その数学でも、「この問題はこう解く」というパターンを記憶していけば、解ける問題は増えていきます。

 

現代文は他の科目とどう違うのか?

 

さて、お待たせしました。

じゃあ現代文はどうなのかということですが、

現代文は、問題文そのものが、①の必要な知識です。

 

問題文を読むために必要な語彙や、漢字問題のための漢字なども、当然必要な知識です。が、現代文の場合、語彙や漢字をいくら覚えても、それで問題が解けるようにはなりません。

問題文の頭から最後までスラスラ読めても、傍線部の問題がスラスラと解けるかというと、それはまた別の話だという人が多いのではないでしょうか。

 

また、問題文の内容やその作者についての予備知識も、問題を解くのに重要ではないと思います。

それをあてにするのは、古文や漢文で、今までに読んだことのある文章が本番の試験に出ることを期待するようなものです。

世の中にある膨大な数の論説文や作家の情報を仕入れ続けることを、出題者が求めているとは思えません。

 

僕は、林修先生をはじめとする世の中の現代文講師と同じく、現代文の答えは本文中の内容から作ればいいと考えています。詳しい理由はまたお話しするかもしれませんが、まずその前提で話をします。

 

その場合、テストを受ける全ての人に必要な知識が示されていることになります。

 

現代文と他の科目との違いはここにあります。

 

他の科目は、知識が足りていないから問題が解けない。

一方で、

現代文は、情報が多すぎて、何を使えばいいのかわからないから問題が解けないのです。

 

現代文に必要な2ステップはこれらです。

 

  1. 必要な知識を選別すること(道具を選ぶ)
  2. それを使うこと

 

つまり、初めの前提が180度異なるのです。

 

なぜ現代文はわけが分からないのか?

 

現代文がなんとなくでは決してできるようにならず、なぜできないのかもわからない理由はここにあります。

 

解答に必要な前提が、他の(一般の)科目と根本的に異なるからなのです。

 

現代文は、「現代文に対する態度」を知らなければ、いくら問題を解いても一向にできるようにはなりません。

 

その態度とは、問題文の情報を選別(分類)しようとする姿勢です。

 

その問題文の情報を選別する作業を、僕は「読解」と呼びます。

 

受験生を苦しめる「読解」という言葉について、次回、僕なりの解釈をお話しします。