現代文に文句を言うブログ

「現代文 無理」「現代文 理解不能」と検索したあなたへ

読解って何よ?⑤(文章全体の構造)

こんにちは。梅雨になりましたね。

 

今回は、この文章を最後まで読解し、「文章全体で何をわかっておけばいいのか」ということについてお話ししたいと思います。

 

それでは、今までのを含め、文章をすべて見ていただきます。f:id:mst323carp:20200612220411p:plain

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傍線部の設問は置いておいて、先に読解をします。

 

今回の新しい部分はこの三段落です。

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こちらを読解します。まずは相同表現。

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これだけだとただ「紙」「書籍」と「電子メディア」が並べてられているだけですが、この三段落でもう一つ相同表現と言える、「両者の関係」についておわかりになるでしょうか?

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この部分にも「~だと思う」という筆者の主張の構文がありますが、この部分を分類すると「電子メディアがあるからこその紙・書籍」という主張(赤線)の一部であるとみなしていいと思うので、今のところはスルーします。

 

それでは、文章全体を読み終わったときにやっておいた方がいいことを説明します。それは、「文章全体の読解」であり、「段落ごとの役割から文章全体を整理する」ということです。

 

まずはわかりやすくするために、文章全体に段落番号を振っておきます。

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まず、読み始めの段階で意識してほしいのは、初めの方の段落にあるはずの「話題提起」です。

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これを踏まえたうえで、文章全体を段落ごとにわけて、その役割を確認していきます。

 

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この「段落ごとに整理する」ことで見える「ある部分(段落)の文章内における役割」が「文章全体の構造」です。「この文章はこういう作りなのか」ということがわかると、「この文章を理解できたぞ!」という気持ちになれます。

今までの「何となく初めから終わりまで読み、わかったようなわからないような、でも設問になると何も思い浮かばず、いたずらに時間だけが過ぎていき、がんばって解答欄を埋めてもほとんど点がもらえない」という読み方を思い出せば、大きな進歩であると思いませんか。「現代文が理解できない」という方に、「現代文を解いている実感」を感じていただけると嬉しいです。

 

そして、何回も繰り返し申していることですが、

「今までやってきたことは、全て書いてあるわけですから、他人から言われてみれば当たり前のことです。それを自力でできるようになることが肝心なのです。」

 

現代文が全く分からない方でも、解答の解説を聞けば「そんなの当り前じゃないか」と思うことがあったかもしれません。模範解答には今まで読んできたことが書いてあるわけで、それは一度文章に目を通していれば既視感があるのは当然です。

大事なのはそれを自分で(自力で)作り出すことで、そのためには何を材料にすればいいのかを見抜くことが必要です。そして、それを見抜くためには、趣味の読書や今までの「文字の追い方」とは全く違う「読み方」をしなければならないのですが、困ったことにそれを現代文の先生はほとんど教えてくれません。

もちろん指示語・接続語や具体例などの説明はしてくれます。しかし、それをどのように解答に生かすかまでは教えてくれません。おそらく、現代文の先生は、読み方を誰に言われるでもなく当たり前のように習得していたのでしょう。現代文科の先生になるだけあって、センスがあるのでしょう。それらをどうやって使えばいいのかわからない人がいることさえ知らないのだと思います。

しかし、「生まれつきできる」人は、「生まれつきできない」人の気持ちがわかりません。「できる人が当たり前のようにやっている方法」は、「全くできない人が一からできるようになる方法」ではないことが多いのです。それを教えてくれるのは、「全くできなかったけどできるようになった人」です。それは「元々できる人」ではなく、そういう人はえてして「できない人」にとって役立つことを教えてくれないのです。

 

特に現代文は、理数系と違い定義があいまいで、読み方・解き方に統一されたルールがありません。教科書だって、数学などと比べれば「ただ問題が並んでいるだけ」と言えます。問題集とあまり違わないのではないでしょうか。そういう不明確な教科だからこそ、ますますその人の「センス」がものを言うようになってきます。

その「センス」や「もともとできる人の感覚」というのは元々現代文のセンスが皆無だった僕にはわかりませんが、そういう教科になってしまっているのは教科を設定している国や文科省の責任であり、「読み方」を一から(理論として)作ることのできない現代文教師の責任です。努力の仕方がわからない以上、生徒には手も足も出ません。

 

そして、正直に申し上げますが、定義や正解・不正解の根拠が曖昧であるからこそ、僕の読解も解答も本当は正しいのかどうかわかりません。現代文科の先生(特に予備校)ですら、お互いが作った解答にここがおかしいだの全然ダメだのと言いあっている現状ですから、誰が本当に正しいのかわからないのです。現に入試問題の解答速報などでも、予備校によって書いてあることが全然違ったりします。

ですから、これも以前に申したことがありますが、大事なのは「自分が納得できたかどうか」です。「ここまで考えてきれいに整理できたのだから、まず点は取れているだろう」という自信と、それで実際に点が取れるという裏付けだけが、あなたの「国語力」を支えてくれます。そのためにはやはり「納得できるだけの読解方法」、特に「自分が自力で再現できる読解法」が必要です。このブログで書いてあることが、その「あなただけの読解法」をつくる一助になれば幸いです。

 

こういう現代文への文句はもっと昔の記事にたくさんありますから、読みたい方がもしいるのであれば読んでみてください笑

 

次回は、設問の解き方(「設問『どういうことか』とあるが、どういうことか」シリーズ)を再開します。