現代文に文句を言うブログ

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読解って何よ?②(相同表現)

こんにちは。

 

今回は、具体的な読解方法についてお話します。

 

読解でやることとは?

 

僕の考える読解においてやること、つまり問題文を読解するとはどういうことかというと、問題文の情報(内容と形式)を分類する(まとめ、選別する)ことだと言えます。

 

問題文の情報を「いる部分」(解答に使える箇所=文中の重要な箇所*1)と「いらない部分」に分け、さらに「いる部分」をより端的な表現にまとめ上げる(いわゆるラベリング)のです。

 

この分類を行う際、注目すべきことを述べます。

 

まず、文中の表現の形式に着目すると、

  1. 形式段落
  2. 指示語
  3. 接続語
  4. 構文

の四つが、読解の手掛かりになります。

 

そして、文章の内容に着目すると、

  1. 相同表現(繰り返される表現・似ている表現)
  2. 具体と抽象

の二つを認識できることが重要になります。

 

まず、「形式」1番の形式段落について。

著者は、文章を書くとき、全ての文を一つの段落で書かず、いくつもの段落に分けて文章を作っています。これは、段落ごとに何らかのまとまった意味があり、それに従って分けた方が読みやすいためだと思われます。だから、読解を行う際に、とりあえずひと段落読んでから、その段落を振り返るという形をとっていきたいと思います。

  

では、以下の文章を読んでみてください*2

 

 

 

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難しそうですね

 

このひと段落の中に、何度も出てくる言葉があるのがわかりますか?

 

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まず目につくのは「書籍」という単語。さらに、 

 

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「書籍」、「情報」、「書籍のデザイン」という三つの言葉が、他の部分と比べて繰り返されているのがわかります。これが、「内容」1番の相同表現です。(この場合、単語がそのまま繰り返されているため、内容というより形式に着目したものとも言えるかもしれません)

 

きわめて単純な話で、「何回も出てくるから、一回しか出てこない他の部分よりは大事なんだろう」という考えから、繰り返されている表現を見つけ出してきたのです。

 

相同表現が文中において大事な箇所であることの根拠は三つあります。

 

一つは、大事なことほどたくさん言ってしまうという人間の(というか言語の)性質です。このことは誰にでも賛同いただけるかと思いますが、あくまでも「だってみんなそうでしょ?」という程度の根拠です。

 

大事なのは二つ目で、それは、「繰り返された回数ならば、分類の基準として誰にも反論されない」ということです。

 

著者にしても出題者にしても受験生(著者にとっては自分の作品の読者)にしても、この三者全員が納得のいく文章の理解の仕方があるとして、それを求めるための基準を考えた時に、「この部分は繰り返されているんだから、他の部分よりは量的に(相対的に)重要だといえるでしょう?」という主張に反論ができるでしょうか。

 

基準さえ考えなければ各個人が自分にとって重要だと思うところを見つけてもいいのでしょうが、これは試験問題です。出題者の設定した重要な箇所(=答えに用いることができる箇所)を追跡しなければならないし、出題者だって受験生に追跡できないような箇所を重要だとみなしては試験の意味がありません。つまり、客観的にみて重要だといえる部分を答えの要素に設定するわけです。

 

ならば、その重要な箇所には、そこが重要であるといえるだけの根拠(基準)があります。その根拠が繰り返しの回数であるかどうかは出題者に聞いてみないとわかりません。しかし、「他と比べてこの表現は繰り返されているから、著者もこの部分を重要と考えていたのではないか」という主張には、繰り返しという目に見える事実があるため、説得力があります。 

 

そして、三つ目の理由は、実際に相同表現を用いて解答を作成すれば、自分が納得のいく解答が作れるうえに得点できるということです。「やっぱり出題者も同じ考えだった」ということが確かめられます。これは、次回、解答の作製方法についての記事で詳しく説明します。

 

さて、皆さんもお分かりの通り、これはある文章の第一段落です。これが問題文で、ここで文章が終わっているのなら、ここで読解は終了なのですが、実際には先があります。

 

大事なのは、最後まで文章を読んでみないと、それまでの読解が正しかったかどうかはわからないということです。段落ごとの読解が、文章全体の読解にどれだけ有用かは、文章全体の読解が終わってからでないとわからないのです。もっと具体的に言うと、段落ごとの読解を丁寧にやると、文章全体の読解には必ずしも有用ではない部分に時間をとられてしまう可能性があります。あくまでも「それまでの手掛かり」として段落を読み進めていってください。

 

では、この文章の続きを読んでみましょう。

 

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赤い文は、第一段落で入れ忘れていたものです。すみません。

 

続いて第二段落。ここでも先ほどと同じように、繰り返された単語に注目すると、

  

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一番多いのは「紙」で、そのほか「ニュートラル」「メディア」「物質性(物性)」とあります(塗り忘れましたが「性質」や「平面」もそうですね)。第一段落でこれでもかと出てきた「書籍」は一つもありません。この段落はどうやら「紙」についての話をしているようです。

 

そして、今回は相同表現のもう一つの種類である、「似ている表現」が出てきています。

 

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「メディアとして」「ニュートラルな…紙」「素材(物質性・物性)ではない」という内容が、この一段落の中に何度も繰り返されているのがわかると思います。似たような表現が繰り返されているのです。

 

相同表現の場合、このように、文中の中から相同表現を「見つけ出す」ことが「問題文の情報を選別する」ことにあたり、それらを「形は変わっているが同じことを言っているのだ」と認識し、解答を作る際に端的な表現で表すことが「問題文の情報をまとめる」こと、「ラベリング」にあたります。

 

ちなみに、「メディア」とは「媒体」のことです。「メディア」と「媒介物」が同じことをさしているということに気づきましたか?語彙力はこういうところで必要になります。

 

そう言われれば当たり前のことだが?

 

ここで思い出していただきたい大事なことがあります。受験生にとって最も大切なのは、文字の羅列である問題文をただスラスラと読むのではなく、問題文の中からこれらの表現を見つけ出そうとすることです。

 

今書いたことは、そう言われればだれしも理解できることです。しかし、受験生は、相同表現を含めた「文中の重要な部分」を、自力で見つけ出さなければならないのです。そのためには、前回のブログで書いたように、問題文を地図のように見立て、文の内容や形式を客観的に分析(「これは○○表現だ、ここは重要だ」等)する態度を身につけることが必要です。

 

この態度を会得すれば、現代文の「学力」を伸ばすことができるようになります。「こういう文章が出てきたときはこんな風に読解すればいいのか」ということがわかれば、それが知識として積み上げられていく現代文と他の科目との決定的な違い。 - 現代文に文句を言うブログ)のです。問題文や設問にもタイプがあり、それごとの読解・解答方法を覚えていけば、現代文の問題を知識で解くということが可能になります。

 

その態度を身につける方法とは?

 

しかし、今まで何も考えず読書と同じように文章を読んできた人にとって、「客観的に読む」態度はすぐには身につきません。僕もそうでした。そういう不慣れな方におススメなのは、問題文に線を引いたりメモをしたりすることです。

 

地図上で目的地を探す場合、見つけたらそこに印をつけたりしますし、目的地までの道のりとなる道路になぞって線を引いたりすると思います。それと同じことだと思ってもらえばいいでしょう。 

 

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赤線が、鉛筆やシャープペンで書いた筆跡だと思ってください。このいわゆるマーキングという作業の利点は二つあります。

  1. 受験生(読者)の視線・読解過程が可視化され、目に見える形で読解できる
  2. 最後まで読んでもその段落での読解を思い出すことができる

 

ただ、たくさんマーキングしてしまうと問題文がぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなります。相同表現の場合、見つけた後は最も端的にまとまっているだと思われるものだけを残し、他は消しゴムできれいに消してしまった方が見栄えがいいかもしれません。

 

慣れるとマーキングは不要になったり、すっきりとしたマーキングが初めからできるようになります。

 

どこまで読解すればいいのか?

 

ここではっきりと言っておきますが、読解に100パーセントはありません。大学の入試問題の解答速報を予備校の発表別に比べてみてもわかる通り、現代文のプロ(を自称している)人たちの中でも、その答えはまちまちです。なにより大学のなかにも答えを発表しないところがあるので、そこを志望する受験生は、ゴールが曖昧なうえに(自称)プロでも意見が分かれる事柄について、ゴールにできるだけ近づいて行かなければならないのです。自分の進路をかけて

 

そんな世界で何を目指せばいいのかですが、僕は「自分が納得できるまで」としか言えないと思います。何せ答えを教えてくれないのです。受験は大人がつくった制度です。受験生には自身の進路がかかっています。なのに、明確な答え(ゴール)を設定せず、受験生に解答の道筋(ガイドライン)も示せないまま、自分たちの求めるところまでたどり着けというのですから、大人げないとしか言えません。やはり現代文という科目(「読解」が必要な文系科目全体に言えるかもしれませんが)に欠陥があると思うのですが、そんなことを言っても始まりません。

 

受験生ができることは、「自分はここまできれいに文章を『読解』することができた。きっと出題者が求めている答えに『合格できるレベルまでは』近づけただろう。これでダメならもうしょうがないな」と思えるような、自分が納得できる読解・解答作成をすることだと思います。受験生の皆さんは、自分で実践できて、自分が納得できるような文章の読み方を、自分で身につけなければならないのです。あなたが本番で不合格になってしまったとして、それまでどれだけエラそうに受験を語ってきた教師や、教師を含めた大人たちは、誰もあなたの不合格に責任を負ってはくれません。自分が納得できるレベルの読解ができるようになっていただきたいと思うし、大人の言うことは取捨選択しなければならないと思います。このブログの中で、少しでもあなたの役に立つ部分があれば幸いです。

 

今回も長くなってしまいました。次回は、この論説文の続きと、その他の読解の注目点について解説しようと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

プレミア12も決勝ですね。がんばれ、日本!

 

 

 

*1:この等式、つまり「出題者が答えに設定しているのは文中で重要な箇所か?」については追って説明する

*2:特定の文章でしかできない読解方法ではないのかと思われる方がいるかもしれないので、読解に使う文章は手元の現代文の教科書から無作為に選んでいる。