現代文に文句を言うブログ

「現代文 無理」「現代文 理解不能」と検索したあなたへ

受験生の試行錯誤。

【この度の台風19号で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 一日も早い復旧をお祈りしております。】

 

現代文に文句をぶちまける前に、自己紹介として僕自身が経験した大学受験についてお話させてください。

 

僕は2016年度(2017年2月)に現役で受験し失敗。一年浪人生活を送り、2017年度(2018年2月)に再び受験するも、前期はまたしても不合格で、後期で受かった大学に現在在籍しています。

(そのため、このブログで出てくるセンター試験は、来年度から始まる大学入試共通テストではなく、マーク式解答のみのテストです)

 

僕は地方出身です。通っていた高校は中高一貫で、自分で言うのは何ですが、結構有名な進学校でした。

 

高校二年の秋・冬あたりから受験のことが気になり始め、東進衛星予備校に行き始めました。

 

その当時の学校での成績は学年の半分より少し上くらいだったと思います。それまで学校の定期試験は無難にこなし、学校で受ける全国模試なんかも「まだ高二だしな」と対して気に留めていませんでした。

 

ところが、受験のシステム(一次試験はマーク式で900点満点、二次は大学による、など。当時はそれすらも知りませんでした汗)を知り、マーク模試などを受ける中で、自分の現実がわかってきました。

 

マーク模試の結果は、高三の春の時点で確か900点中の630点くらいで、七割あるかないかぐらいでした。

 

僕は、二つのことを感じました。

まず一つ目。

 

「俺って思ったより学力ないんだなぁ…」

 

僕は、何を隠そう天下の東京大学を狙っていました。東大を受けるなら、センター試験は9割とらないと二次で不利になります。今の成績のままでは合格できるはずはありません。

 

それまでの学校生活では、特に受験を意識したことはありませんでした。普段は学校で出された宿題をこなし、定期試験の前になったら試験勉強をする、という「普通の」学生生活でした。定期試験でも、平均点をクリアしていればテストの点など気にもしませんでした。

 

しかし、そんな意識の低い僕にも、大学受験というはっきりした目標を前に、「学力(得点力)」という概念が生まれました。決められた範囲(教科書の内容)と形式(マーク式・過去問)があるテストで、いかに点が取れるかというれっきとした能力です。

 

大学受験は一発勝負ですから、「前回はうまくいったけど今回はダメだった」みたいなことでは、本番で点が取れるかどうかが怪しくなります。その本番のために一念費やして勉強するし、その本番がダメだったら行きたい大学に行けない、もしくはもう一年、今度は高校生ではなくなったうえで勉強漬けの浪人生活を送らねばなりません。不合格の重みを考えると、確実に点が取れる、自信をもってテストに臨めるだけの学力が必要だ、と当時の僕は思いました。

 

「今の学力が低い」この事実は揺るぎません。僕はその時初めて、目標と現実の学力の差を知りました。しかし、このこと自体にはそこまで落ち込みませんでした。俺にはまだ一年ある、学力が足りないならつけるだけだ。そう思うことはできました。

 

問題はもう一つのことです。

 

「学力って、どうやって伸ばすんだっけ?」

 

僕は、それまで、テストのための勉強なんてくだらないと思っていました。「興味の湧かない知識なんて役に立たない」という態度で、テストで点を取るための勉強など何の意味があるのかわかりませんでした。学校の宿題は課された課題だからやり、試験勉強も、後々のために自分が思う最低限はやりました。ですが、そこにやる気も高い意識もありませんでした。

 

試験勉強に意味があるのかどうか。これは誰しもが一度は考えたことだと思いますが、試験勉強に意味を見出せるかどうかに関係なく、大学に行きたければ勉強して学力をつけなければいけません。意味を見出せるかどうかはやる気に関わることで、勉強をするかしないかはその人の進路、つまり必要性に関わることです。

 

大学に行きたければ勉強するしかない。けどやる気が起きない。これは受験生を悩まし続ける大きな矛盾の一つですが、それはとりあえず置いておきます。僕が悩んだのは、「学力を身につける方法がわからない」という、方法論的・技術的な問題でした。

 

東進で講座を受けても、宿題をやっても、テストの見直しをしても、一向に伸びない成績。模試で結果が出ない。しかも、成績が伸びる気がしない。日々やらなければならないことをこなしていたのですが、自分の中に変化がなかったのです。勉強をしたつもりでいても、何も積み上げられていないことに気が付き始めました。

 

大学に行きたい(行かねばならない)。ならば入試でいい点を取らなければならない。ならそのために勉強しなければならない。だが勉強してもいい点が取れない。でも勉強しなければならない。だが成績が伸びない。でも… というように、同じところをぐるぐる回っているような状態でした。

 

おまけに僕は、単純に試験勉強・座学が嫌いだったので、嫌いだし出来も悪いことを必要に迫られて直視し続けるという苦痛を味わうことになりました。さらに入試は期日がはっきりと決まっているうえに、前述のように一発勝負ですから、「迫られる必要」もかなり大きいものです。

 

そんな堂々巡りの苦しみの受験勉強でしたが、試行錯誤のうちに学力の伸ばし方がなんとなくわかってきました。この僕なりの勉強方法も、このブログで紹介しようと思います。

 

そして、気になる受験結果ですが、

センター試験がリスニングを除く900点中755点(そのうち国語は200点中146点、現代文は100点中62点)、

二次試験は440点中244点(国語は120点中60点)

センター試験が110点に圧縮されるので、

合計点が550点中336.2778点。

合格最低点が348.5222点だったので、12点ほど足らずに不合格でした。

 

そして駿台予備校に入学し、一年浪人生活を送りました。

 

駿台の実力派講師の授業を受け、得た知識をもとにさらに試行錯誤を重ねました。特に駿台の関西現代文科が誇る「客観的読解法」は、僕の現代文に対する疑問や苦手意識を大いに解消してくれました。

 

一年以上浪人する気はなかったので、現役の時以上に完璧を目指して勉強しました。後がないというプレッシャーはとてつもなく、メンタルがだいぶやられました。

 

試験本番の直前あたりから心因性の頻尿に悩まされ、二次試験の本番は試験時間の半分以上トイレのことを考えていました。

 

浪人生活・試験本番のメンタルヘルスについても、後々お話しできたらいいと思います。

 

浪人した結果はこちら。

センター試験はリスニングを除く900点中843点(国語は175点、うち現代文は100点中75点)

二次試験は440点満点で236点(国語は120点中59点)

合計で550点中339.0333点。

合格最低点は350.6333点で、二年連続で涙をのんだのでした。

 

センター試験の点数は一年で飛躍しましたが、二次試験の点数が前年より低いというまさかの事態に。

 

不合格の翌日には再び東京に向かい、後期試験を受けました。その試験終了後、家に送られてきた前期試験の点数開示を写真で送ってもらい、見てみたときは、もう苦笑いするしかありませんでした。

 

肝心の本番で点が取れなかった僕ですが、模試やセンター試験の成績が伸びたのは事実です。高三のころは模試でE判定しか出ませんでしたが、浪人のころはほとんどA判定でしたし、予備校のみなさんからも「こいつが落ちるなんて」と絶句していました。皆さんの周りにも絶対受かると思われていたのに落ちてしまった人がいるかもしれませんが、それが当時の僕でした。

 

 

言い訳がましく聞こえたかもしれませんが、そもそも僕は自分の経験や勉強法を、成績によって正当化できるとは思いません。どんなに成績を伸ばして大逆転合格をした人の勉強法や経験だって、自分に理解できなければ意味がないのですから。

 

僕は、センスがほとんど通じなくなり、一から自分の勉強法を作り直しました。真剣に試行錯誤し、得たものを、皆さんの役に立つと思って紹介します。取り入れるか取り入れないかは当然あなたに合っているかどうか、すなわち、「あなたに実践できて、実際に成績が伸びそうかどうか」次第です。その際に参考として、模試やセンター試験の成績は確かに伸びたことと、それでも二次試験で東大に二年連続で不合格だったという事実を述べておきます。

 

長々と書いてきましたが、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。次回から現代文に文句を垂れていきたいと思います。