設問「どういうことか」とあるが、どういうことか。②
皆さん、お久しぶりです。色々あって更新が遅れておりました。このブログの更新を心待ちにしている方々(なんていないとは思いますが)、お待たせいたしました。
さて、前回設問について説明したことを振り返りますと、
現代文の設問は、そのほとんどが「傍線部の説明」を求めていますが、それは普段私たちが想定する「説明」とは大きく異なっています。そして、相手(=出題者)が受験生に何を求めているかを理解しないと、設問は解きようがありません。
では、出題者は、設問を通して受験生に何を求めているのでしょうか?
出題者は、何を求めているのか?
まず、出題者の意図をどこから推測するかですが、
公式文書を利用するならば、
- 高校学習指導要領
- 各大学の受験資料
などがあります。
まず1の学習指導要領ですが、
気になる方は文科省のホームページから読んでみてください。長くて複雑です。
国語全体の目標だけとりあげると、以下のことが記されています。
言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に 使うことができるようにする。
(2) 生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。
(3) 言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。
いかにも抽象的というか、国語ができない人には不親切な感じがします。「適切に使う」「思考力や想像力」「言語感覚を磨く」等、苦手な人には共感できない「状態」を表す言葉です。
(1)から(3)まで書いてありますが、これらは結局最初に書いてある、「国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力」を詳しく述べたものです。つまり、この国語全体の目標を短くまとめると、「国語で理解し表現する能力」を身につけさせることになるのでしょうか。
続いて2の大学の受験資料です。
東京大学の受験生向けパンフレット(2018)には国語についてこう書かれています。
総合的な国語力の中心となるのは
1)文章を筋道立てて読み取る読解力
2)それを正しく明確な日本語によって表す表現力
の二つであり、出題に当たっては、基本的な知識の習得は要求するものの、それは高等学校までの教育課程を出るものではなく、むしろ、それ以上に、自らの体験に基づいた主体的な国語の運用能力を重視します。
そのため、設問への解答は原則としてすべて記述式となっています。さらに、ある程度の長文によってまとめる能力を問う問題を必ず設けているのも、選択式の設問では測りがたい、国語による豊かな表現力を備えていることを期待するためです。
ここでもやはり、「読解(理解)と表現」を二本柱にしています。さらに、表現に関し、「自らの体験に基づいた主体的な国語の運用*1」を求め、その能力を測るために記述式の問題を課している、と書かれています。
注目していただきたいのは、2)のこの部分。
2)それを正しく明確な日本語によって表す表現力
「それ」とは何のことでしょうか(まさに現代文の設問のようですね笑)。「読解力」です。つまり、読解力を表現する力を重視しており、言い換えると、表現力を測られる際に表現すべきものは読解力なのです。それを、最も国家(文科省)に近い国立大学である東大が表明しているわけです。
以上からわかるのは、現代文(に限らず古文も漢文も含めた「国語」という教科)の問題というのは、文章を理解(読解)し表現する能力を問うていることです。
つまり、この記事の最初に書いた、出題者が受験生に求めているものとは、文章を理解し表現する能力であり、それを問題文中の傍線部の説明によって測っていることになるのです。
しかも、東大のパンフレットを信用すれば、表現すべきものは読解力です。これはまさに、表現力とは読解したことをアピールする力だといえるのではないでしょうか。つまり、解答欄で読解したことをアピールできれば、得点できるのです。
何を書けば読解力をアピールできるのか?
では、解答欄に何を書けば読解したことをアピールできるのでしょうか。
それは、文章の中で重要だ(と思われる)部分です。それらを文中から見つけ出し、本文の内容と矛盾しないように繋ぎ合わせ、最後に「ということ。」とつけてしまえばいいのです。
以前の記事(読解って何よ?②(相同表現) - 現代文に文句を言うブログ)で、文中の重要な部分を見つける方法のうちの一つについて話しました。簡単に言うと「文中に繰り返し出てくる表現を見つける(見つけようとする)」ことです。
なぜ繰り返された表現が答えになり得るのかについては、その記事の中でも話しました。その理由の中で一番説得力があるのは、「その部分を使って解答を作れば模範解答に近いものが作れるから」です。
本当に重要かどうかは出題者に聞いてみなければわかりません。そんなことは僕にもわからないし、もっと言うと学校の先生にも予備校の講師にも確かめようがないのです。なぜなら、出題者(大学の先生)に問い合わせることもできないし、答えも公表してくれない*2からです。全ては出題者が決めることです。
ですが、文中で重要だと思われるところを探し出し、それをくっつければ、実際に模範解答(予備校の作ったものになりますが)に近いものが作れてしまうのです。実際に点が取れるのです(模範解答と得点がわかる模試・センター試験までしか確かめられませんが)。
このブログで何度も言っていることですが、現代文という科目は極めてあいまいな科目です。もともと苦手な人にとって、この教科ほど学力を伸ばすのが難しいものはないでしょう。それは、受験生に非がある(などと言うことは突き詰めればどの科目でもあり得ないのですが)というより、現代文という科目を公的な入試科目として整備した大人に問題があると僕は考えています。正しいものと間違っているものの区別をつけられない分野を、曖昧で不明確な基準で線引きしているのです。そのうえ、「正解がないから面白いんだよぉ」などとぬかす教師までいるのですから、このテストで将来が決まる受験生がかわいそうです。
ただ、現代文の曖昧さに困るのは、苦手な人だけではありません。現代文が得意だと思っている人だって、何なら偉そうにしている教師でさえ、彼らが作った解答が正しいという保証はないのです。何が正しくて何が間違っているかが明確に定義されていないから。まあ、偉そうにしている本人たちは困ってすらいないのでしょうが。
そんな世界で現代文が苦手な人たちに有用なのは、得意な人が使える方法ではなく、偉そうな教師が自信満々に押し付けてくる解説でもありません。苦手な人が、そこのあなたが、実際に再現することができて、かつ実際に点が取れる方法なのです。このブログで少しでも参考になることがあれば幸いです。
次回は、以前読解した文章を使って、実際に設問を解いてみたいと思います。