読解って何よ?⑤(文章全体の構造)
こんにちは。梅雨になりましたね。
今回は、この文章を最後まで読解し、「文章全体で何をわかっておけばいいのか」ということについてお話ししたいと思います。
それでは、今までのを含め、文章をすべて見ていただきます。
傍線部の設問は置いておいて、先に読解をします。
今回の新しい部分はこの三段落です。
こちらを読解します。まずは相同表現。
これだけだとただ「紙」「書籍」と「電子メディア」が並べてられているだけですが、この三段落でもう一つ相同表現と言える、「両者の関係」についておわかりになるでしょうか?
この部分にも「~だと思う」という筆者の主張の構文がありますが、この部分を分類すると「電子メディアがあるからこその紙・書籍」という主張(赤線)の一部であるとみなしていいと思うので、今のところはスルーします。
それでは、文章全体を読み終わったときにやっておいた方がいいことを説明します。それは、「文章全体の読解」であり、「段落ごとの役割から文章全体を整理する」ということです。
まずはわかりやすくするために、文章全体に段落番号を振っておきます。
まず、読み始めの段階で意識してほしいのは、初めの方の段落にあるはずの「話題提起」です。
これを踏まえたうえで、文章全体を段落ごとにわけて、その役割を確認していきます。
この「段落ごとに整理する」ことで見える「ある部分(段落)の文章内における役割」が「文章全体の構造」です。「この文章はこういう作りなのか」ということがわかると、「この文章を理解できたぞ!」という気持ちになれます。
今までの「何となく初めから終わりまで読み、わかったようなわからないような、でも設問になると何も思い浮かばず、いたずらに時間だけが過ぎていき、がんばって解答欄を埋めてもほとんど点がもらえない」という読み方を思い出せば、大きな進歩であると思いませんか。「現代文が理解できない」という方に、「現代文を解いている実感」を感じていただけると嬉しいです。
そして、何回も繰り返し申していることですが、
「今までやってきたことは、全て書いてあるわけですから、他人から言われてみれば当たり前のことです。それを自力でできるようになることが肝心なのです。」
現代文が全く分からない方でも、解答の解説を聞けば「そんなの当り前じゃないか」と思うことがあったかもしれません。模範解答には今まで読んできたことが書いてあるわけで、それは一度文章に目を通していれば既視感があるのは当然です。
大事なのはそれを自分で(自力で)作り出すことで、そのためには何を材料にすればいいのかを見抜くことが必要です。そして、それを見抜くためには、趣味の読書や今までの「文字の追い方」とは全く違う「読み方」をしなければならないのですが、困ったことにそれを現代文の先生はほとんど教えてくれません。
もちろん指示語・接続語や具体例などの説明はしてくれます。しかし、それをどのように解答に生かすかまでは教えてくれません。おそらく、現代文の先生は、読み方を誰に言われるでもなく当たり前のように習得していたのでしょう。現代文科の先生になるだけあって、センスがあるのでしょう。それらをどうやって使えばいいのかわからない人がいることさえ知らないのだと思います。
しかし、「生まれつきできる」人は、「生まれつきできない」人の気持ちがわかりません。「できる人が当たり前のようにやっている方法」は、「全くできない人が一からできるようになる方法」ではないことが多いのです。それを教えてくれるのは、「全くできなかったけどできるようになった人」です。それは「元々できる人」ではなく、そういう人はえてして「できない人」にとって役立つことを教えてくれないのです。
特に現代文は、理数系と違い定義があいまいで、読み方・解き方に統一されたルールがありません。教科書だって、数学などと比べれば「ただ問題が並んでいるだけ」と言えます。問題集とあまり違わないのではないでしょうか。そういう不明確な教科だからこそ、ますますその人の「センス」がものを言うようになってきます。
その「センス」や「もともとできる人の感覚」というのは元々現代文のセンスが皆無だった僕にはわかりませんが、そういう教科になってしまっているのは教科を設定している国や文科省の責任であり、「読み方」を一から(理論として)作ることのできない現代文教師の責任です。努力の仕方がわからない以上、生徒には手も足も出ません。
そして、正直に申し上げますが、定義や正解・不正解の根拠が曖昧であるからこそ、僕の読解も解答も本当は正しいのかどうかわかりません。現代文科の先生(特に予備校)ですら、お互いが作った解答にここがおかしいだの全然ダメだのと言いあっている現状ですから、誰が本当に正しいのかわからないのです。現に入試問題の解答速報などでも、予備校によって書いてあることが全然違ったりします。
ですから、これも以前に申したことがありますが、大事なのは「自分が納得できたかどうか」です。「ここまで考えてきれいに整理できたのだから、まず点は取れているだろう」という自信と、それで実際に点が取れるという裏付けだけが、あなたの「国語力」を支えてくれます。そのためにはやはり「納得できるだけの読解方法」、特に「自分が自力で再現できる読解法」が必要です。このブログで書いてあることが、その「あなただけの読解法」をつくる一助になれば幸いです。
こういう現代文への文句はもっと昔の記事にたくさんありますから、読みたい方がもしいるのであれば読んでみてください笑
次回は、設問の解き方(「設問『どういうことか』とあるが、どういうことか」シリーズ)を再開します。
読解って何よ?④(具体と抽象)
お久しぶりです。気が付いたら暑くなってきましたね。コロナ禍も第一波が終息し、とりあえずはほっと一息という感じかもしれません。これからは次にウイルスが入ってきたときのための「予防」「安全保障」として、いわゆる新しい生活をしていくことになります。気を付けましょう。
さて、今回はこれまたよく聞く「具体と抽象」の話をしていきたいと思います。以前申した通り、この文章は現代文の教科書の一番最初に載っていたものを取り上げたのですが、うまい具合に具体と抽象を使った段落がやってきました(肝心の説明が全く載っていないのが残念ですが)。見てみましょう。
ここでは、「具体例」とそれをまとめる「抽象表現」が使われています。
今回の場合、この二つの段落に具体と抽象が出てきます。
今回はこれくらいにしておきたいと思います。
次回はこの文章を最後まで読解したいと思います。
読解って何よ?③(指示語・接続語・構文)
こんにちは。国立大学の前期試験がもうすぐですね。受験生の皆さん、あともう少しで解放されます。少し早いですが、本当にお疲れさまでした。もう一息です。
今回は、読解シリーズを再開します。本文の続きを読んでいきましょう。
以前の記事で説明した通り、段落ごとに読解していきます。では、第三段落を拡大します。
指示語について
第三段落で注目したいのは、指示語です。
指示語とは、
①事物を指し示す機能を持つ語。いわゆる「こそあど」と称する。「これ・それ・あれ・どれ」「こう・そう・ああ・どう」の類。
②代名詞。
(広辞苑)
いわゆる「こそあど言葉」のことです。
第三段落の中に指示語が二つ入っているのがお判りでしょうか。
この指示語、見つけたら必ず注意してください(僕が受験生の時は、四角で囲んでいました)。
今回の第三段落の場合、指示語が示す内容は何で、どれくらい重要なのでしょうか。
以上のようになります。最初の指示語は指示する内容自体は範囲が広い上に曖昧で、さらに、その後の「新しい話題」(ここでは「筆者の主張」)のほうが重要になってきそうなのが読んでいくとわかるのですが、実は教科書がこの指示語を設問に指定しているため、解答を作らなければなりません。これは次回以降に説明します。
気づいていただきたいのは、この指示語によって、指示語の後に一歩進んだ別の話題が出てきていることです。指示語の前後で文章の内容が分類されます。
そして、文章全体の全体の読解において大事なのはむしろ後の方の指示語です。なぜかというと、その指示語が特定の構文の中に入っているからです。この部分は、文章全体の主張と言ってもいいくらい、大事な部分であると予測できます(あくまで予測です。まだ三段落しか読んでいないので)。
構文について
先ほど特定の構文と言いました。これは、その構文が用いられたときに、それが筆者の主張の表れになっているもので、文章中の重要な部分をみつけるのに大いに役に立ちます。
これは第四段落にもあります。合わせて見てみましょう。
筆者が自分の主張を表すとき、無意識のうちにこのような構文を使います。自然と現れた構文に注目すれば、筆者の主張を楽に見つけられるようになります*1。これらの定型的な表現は、文中に出てくるごとに説明していきます。
それでは、第四段落を、二つの観点から読解してみたいと思います。
今さらっと段落の「構造」という言葉を使いました。「構造」とは、「文章内の内容同士の関係」のことです*2。
相同表現に着目しただけでは、「デジタルデータ」と「書籍」どちらを筆者が重視しているかまではわかりません。しかし、接続語や構文を見れば、そのどちらに重きを置いているか(≒筆者の主張)がわかります。
今回の場合、
「書籍」>「デジタルデータ」
ということです。
この段落は特に、構文で段落内がきれいに区切られます。実際にはこんな段落ばかりではないので、あくまで文章の内容(相同表現・具体と抽象*3)を分析することを忘れないでください。
第四段落をマーキングするとしたら以下のようになります。これは僕の一例であり、マーキングはあくまで個人の自由に行ってください。自分で納得できればそれでかまいません。
以下は、現代文でよく出てくる「対比」についての考察です。
今回はこれで以上になります。お疲れさまでした。二次試験の健闘をお祈りしております。
*1:この文章表現に注目し、特定の表現をまとめたのが、関西駿台現代文科の中野芳樹先生である。彼が考え出した「客観的読解法」は、文章表現に注目して本文にマーキングし、そこから解答を作り出すというものだ。駿台の現代文科は他の科目と比べても関東と関西で方針が対立しているが、関西現代文科の講師は大方中野先生と同じ方法を用いている。ちなみに僕のおすすめは河田喜博先生で、先生のおかげで現代文に太刀打ちできるようになった。浪人期の恩人である。
*2:そのほか、大雑把な「文章(段落)のつくり」として用いることもある。「構造」などと難しい言葉を使っているが、深い意味はないのでご了承いただきたい。
*3:次回説明する。
設問「どういうことか」とあるが、どういうことか。③
こんにちは。今年の冬は暖かいですね。
今回は、以前の記事(読解って何よ?②(相同表現) - 現代文に文句を言うブログ)で読解した文章を使って、実際に問題を解いてみたいと思います。
解答の作り方とは?
僕が使っていたのは筑摩書房の現代文Bの教科書ですが、文章の終わりに「読解」という欄があり、試験問題のようなものがいくつかついています。
1、「紙はマテリアルである前に『無意識の平面であった』(八・10)」とはどのようなことか、説明しなさい。
これを本文にあわせ、現代文のテスト風にすると、以下のようになります。*1
前回の記事(設問「どういうことか」とあるが、どういうことか。② - 現代文に文句を言うブログ)を思い出してください。
得点できる解答に必要なのは、読解できたことをアピールすることでした。そして、その為に必要だったのは本文中の重要な部分を見つけてくることでした。
本文を読解したものが以下になります。再掲です。
本文の繰り返された表現をマークしたものですが、この部分を解答に使えば読解がアピールできたことになります。逆に言うと、「傍線部の説明」だけならどのようにやっても成り立ちますが、本文中の重要な部分を使っていなければ、他の本文中の表現を引用したところで、読解のアピールはできていないことになるのです。
この文章の場合、設問1の解答に使える材料は三つあります。
大事なのは、この文中のどこに傍線が引かれていたとしても、上記の三点は答えの要素になり得るということです。答えになり得る部分というのは、その文章を読解した時点で大体判明するのです。もっと言えば、著者がその文章を作った時点で、それが問題文になった時に解答となる箇所はすでに決まっているのであり、そこを答えさせるように傍線が引かれるのです。
解答の組み立て方とは?
では、これらの材料をどのように組み立てるのでしょうか。
解答を作る際に注意すべきことは大きく二つあります。
- 問題の指示(どういうことか or なぜか)
- 材料同士の接続
- 解答欄の大きさ(字数制限)
まず1の問題の指示について。
現代文の問題は、大きく分けて「どういうことか」と「なぜか」に分かれます。
よく「『どういうことか』の解答は傍線部の言い換えになるように、『なぜか』の解答は傍線部の根拠または原因を示すように」などと言いますが、僕は特に違いを考える必要はないと思っています。要は読解できていることをアピールできればいいわけで、問題の指示がどちらであっても、解答に書くべきことはだいたい変わらないからです(例外もあります)。傍線部は、読解できているかどうかがその解答で評価できるような箇所に引かれるのです。
ですから、語尾にだけ気を付けて、「どういうことか」の場合は「~ということ。」、「なぜか」の場合は「~から。」とつければいいと思います。「なぜか」の問題の方が字数制限的にありがたいということですね。
続いて2の接続です。
「材料同士をどんな言葉でつなげるか」です。
これは、本文内の関係に矛盾しないように繋げなければなりません*2。
材料を繋げる際、接続する言葉のニュアンスに気を付けてください。上記の(ウ)「である以前に」のみ、材料②の緑線「(紙はマテリアル)であるが、その性質は考慮されていない」のニュアンスが出せています。
この接続する言葉選びは難しいと思います。はっきり本文中に「~ではなく」「~と同時に」「~もまた」 等の言葉があれば楽なのですが、それがなければ自分で一番端的かつ正確な言葉を選ばなければなりません。
では、ひとまず3の解答欄の大きさ(字数制限)は考慮せず、先に解答を作ってみましょう。
この場合、解答素材を本文に矛盾しないように組み立てたものが、そのまま答えになりました。
問題の指示は「傍線部の説明」なのですが、解答づくりはあくまで読解して得た解答の材料と、その組み立てが先です。材料を、解答欄の大きさに合わせて、本文に合うように再構築するのです。
そして、その解答を見て、「傍線部の説明になっているな」と何となく思えればそれでいいと思います。読解できたことをアピールするように傍線部を説明するのです。
「どういうことか」の問題の場合、傍線部と解答の内容が同じになっていることが多いです。が、あくまで読解のアピールが大事なので、全くイコールかどうかは深く考えなくていいと思います。特に、傍線部より解答の方が内容が多くなっていることが結構あります。
最後に3の解答欄の大きさです。
ひとつひとつの材料をどこまで詳しく書くかは、解答欄の大きさ、つまり字数制限で決まります。上の解答は、適当に作ったら60字くらいになりましたが、解答欄の大きさによっては材料やそれらの接続を圧縮する必要があります。
字数が同じなら、ひとつひとつの材料を短くまとめ、できるだけたくさんの材料を入れられるといいでしょう。見た目は違ってもどれも同じ一つの材料(要素)であるとわかれば、端的な表現ですっきりとした解答が作れます。
逆に、集めた解答の材料の割に解答欄が大きい場合、他の材料を見落としている可能性があります。他の繰り返し表現や、繰り返し表現以外で他とは異質な表現(上の紫線のような)を探してみましょう。
今回は以上になります。こんなに小難しい記事を読んでくださった皆さん、本当にお疲れさまでした。
受験生の皆さんへ
受験生の皆さん、そろそろ本番ですね。僕の受験歴はこの記事(受験生の試行錯誤。 - 現代文に文句を言うブログ)で詳しく書きましたが、僕は浪人の前期でも第一志望に受かることができませんでした。
そんな僕が皆さんに言えることがあります。
どんなに緻密に努力しても、落ちるときは落ちます。
受験勉強に100%はないのです。絶対に受かるなどということは絶対に望めません。落ちるときは落ちます。最後は運だよりなのです。
だから、
入試本番は、自分が第一志望校にご縁をいただけるかどうか、確かめに行くような気持ちで試験に向かえばいいのではないでしょうか。
あなたはここまでよく頑張りました。こんなブログを見に来るまで真剣に自分の苦手と向き合いました。あとはもう、当日の空気に任せてしまえばいいと思います。
皆さんの幸運を心よりお祈りしています。
設問「どういうことか」とあるが、どういうことか。②
皆さん、お久しぶりです。色々あって更新が遅れておりました。このブログの更新を心待ちにしている方々(なんていないとは思いますが)、お待たせいたしました。
さて、前回設問について説明したことを振り返りますと、
現代文の設問は、そのほとんどが「傍線部の説明」を求めていますが、それは普段私たちが想定する「説明」とは大きく異なっています。そして、相手(=出題者)が受験生に何を求めているかを理解しないと、設問は解きようがありません。
では、出題者は、設問を通して受験生に何を求めているのでしょうか?
出題者は、何を求めているのか?
まず、出題者の意図をどこから推測するかですが、
公式文書を利用するならば、
- 高校学習指導要領
- 各大学の受験資料
などがあります。
まず1の学習指導要領ですが、
気になる方は文科省のホームページから読んでみてください。長くて複雑です。
国語全体の目標だけとりあげると、以下のことが記されています。
言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に 使うことができるようにする。
(2) 生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。
(3) 言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。
いかにも抽象的というか、国語ができない人には不親切な感じがします。「適切に使う」「思考力や想像力」「言語感覚を磨く」等、苦手な人には共感できない「状態」を表す言葉です。
(1)から(3)まで書いてありますが、これらは結局最初に書いてある、「国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力」を詳しく述べたものです。つまり、この国語全体の目標を短くまとめると、「国語で理解し表現する能力」を身につけさせることになるのでしょうか。
続いて2の大学の受験資料です。
東京大学の受験生向けパンフレット(2018)には国語についてこう書かれています。
総合的な国語力の中心となるのは
1)文章を筋道立てて読み取る読解力
2)それを正しく明確な日本語によって表す表現力
の二つであり、出題に当たっては、基本的な知識の習得は要求するものの、それは高等学校までの教育課程を出るものではなく、むしろ、それ以上に、自らの体験に基づいた主体的な国語の運用能力を重視します。
そのため、設問への解答は原則としてすべて記述式となっています。さらに、ある程度の長文によってまとめる能力を問う問題を必ず設けているのも、選択式の設問では測りがたい、国語による豊かな表現力を備えていることを期待するためです。
ここでもやはり、「読解(理解)と表現」を二本柱にしています。さらに、表現に関し、「自らの体験に基づいた主体的な国語の運用*1」を求め、その能力を測るために記述式の問題を課している、と書かれています。
注目していただきたいのは、2)のこの部分。
2)それを正しく明確な日本語によって表す表現力
「それ」とは何のことでしょうか(まさに現代文の設問のようですね笑)。「読解力」です。つまり、読解力を表現する力を重視しており、言い換えると、表現力を測られる際に表現すべきものは読解力なのです。それを、最も国家(文科省)に近い国立大学である東大が表明しているわけです。
以上からわかるのは、現代文(に限らず古文も漢文も含めた「国語」という教科)の問題というのは、文章を理解(読解)し表現する能力を問うていることです。
つまり、この記事の最初に書いた、出題者が受験生に求めているものとは、文章を理解し表現する能力であり、それを問題文中の傍線部の説明によって測っていることになるのです。
しかも、東大のパンフレットを信用すれば、表現すべきものは読解力です。これはまさに、表現力とは読解したことをアピールする力だといえるのではないでしょうか。つまり、解答欄で読解したことをアピールできれば、得点できるのです。
何を書けば読解力をアピールできるのか?
では、解答欄に何を書けば読解したことをアピールできるのでしょうか。
それは、文章の中で重要だ(と思われる)部分です。それらを文中から見つけ出し、本文の内容と矛盾しないように繋ぎ合わせ、最後に「ということ。」とつけてしまえばいいのです。
以前の記事(読解って何よ?②(相同表現) - 現代文に文句を言うブログ)で、文中の重要な部分を見つける方法のうちの一つについて話しました。簡単に言うと「文中に繰り返し出てくる表現を見つける(見つけようとする)」ことです。
なぜ繰り返された表現が答えになり得るのかについては、その記事の中でも話しました。その理由の中で一番説得力があるのは、「その部分を使って解答を作れば模範解答に近いものが作れるから」です。
本当に重要かどうかは出題者に聞いてみなければわかりません。そんなことは僕にもわからないし、もっと言うと学校の先生にも予備校の講師にも確かめようがないのです。なぜなら、出題者(大学の先生)に問い合わせることもできないし、答えも公表してくれない*2からです。全ては出題者が決めることです。
ですが、文中で重要だと思われるところを探し出し、それをくっつければ、実際に模範解答(予備校の作ったものになりますが)に近いものが作れてしまうのです。実際に点が取れるのです(模範解答と得点がわかる模試・センター試験までしか確かめられませんが)。
このブログで何度も言っていることですが、現代文という科目は極めてあいまいな科目です。もともと苦手な人にとって、この教科ほど学力を伸ばすのが難しいものはないでしょう。それは、受験生に非がある(などと言うことは突き詰めればどの科目でもあり得ないのですが)というより、現代文という科目を公的な入試科目として整備した大人に問題があると僕は考えています。正しいものと間違っているものの区別をつけられない分野を、曖昧で不明確な基準で線引きしているのです。そのうえ、「正解がないから面白いんだよぉ」などとぬかす教師までいるのですから、このテストで将来が決まる受験生がかわいそうです。
ただ、現代文の曖昧さに困るのは、苦手な人だけではありません。現代文が得意だと思っている人だって、何なら偉そうにしている教師でさえ、彼らが作った解答が正しいという保証はないのです。何が正しくて何が間違っているかが明確に定義されていないから。まあ、偉そうにしている本人たちは困ってすらいないのでしょうが。
そんな世界で現代文が苦手な人たちに有用なのは、得意な人が使える方法ではなく、偉そうな教師が自信満々に押し付けてくる解説でもありません。苦手な人が、そこのあなたが、実際に再現することができて、かつ実際に点が取れる方法なのです。このブログで少しでも参考になることがあれば幸いです。
次回は、以前読解した文章を使って、実際に設問を解いてみたいと思います。
設問「どういうことか」とあるが、どういうことか。①
こんにちは。
今回は、「読解って何よ?」シリーズをいったんお休みして、現代文の設問についてお話ししたいと思います。
現代文の設問とは?
現代文の設問は、他の教科の問題と比べてもぶっちぎりに不親切だと思います。
よくある設問は、
「傍線部『…』とあるが、どういうことか、説明せよ。」
「傍線部『…』とあるが、なぜか、説明せよ。」
といったものです。
そして、傍線部に関する設問のほぼすべてに「説明」という言葉が入っています。よって、設問は「傍線部の説明」を求めているのだと思われます。それはわかりますが、
こんな抽象的な問いがありますか?
何かを「求めよ」というのではありません。「説明せよ」というのです。
「説明」という言葉の意味を辞書で調べると、
①ある事柄の内容や意味を、相手によくわかるように述べること。
とあります。まあ皆さんもそういうことだろうと思われるでしょう。
皆さんが日常で「どういうことか」「なぜか」といった説明を求めたくなるのは、相手がある事柄を理解していて、自分にはそれがよくわからないときです。
人はみな、変態だと思います。*1
この一文を急に主張されれば、大体の人は「どういうこと?」「なぜ?」と問いたくなるでしょう。まして、テレビで歌を歌っている清潔感あふれる星野源しか知らない人は、「あの人がこんなことを言うだなんて」という意味でも二重に理解できないかもしれません。(そんなあなたには星野源の初期のエッセイ集「そして生活はつづく」をおすすめします。すごくおもろいです。ただの優しそうな兄ちゃんではない星野源に触れることができます。)
実際の問題文中でも、傍線部に指定された箇所を見てみると、確かに「他と比べれば少し変わった表現と言えなくもないな」くらいの部分に線が引いてあります。
しかし、その「説明」をするにあたって、受験生はしばしば困らされます。それは、現代文の「説明」にしかない、特異な点があるからです。
現代文の「説明」の特異な点とは?
現代文で求められる「説明」の特異な点は、以下の4つにまとめられます。
- たった今初めて読んだ文章について説明を求められる
- 相手の方がその文章について詳しいはずなのに、その相手がこちらに説明を求めてくる
- 「相手がわからないこと」がわからない
- 相手が本当に知りたいのは説明そのものではない
まず、1番の「たった今初めて読んだ文章について説明を求められる」について。
実はこれは現代文に限らず、英語や小論文もそうなのですが、試験場でいきなり知らない文章を読まされ、それについて説明するという状況は、いわゆる「試験」にしかない特殊なものです。予備知識がない事柄を説明することになるのです。
そして、そのたった今初めて読んだ文章の表現に傍線を引っ張られ、それについて説明を求められます。ですが、この表現に疑問を感じる(説明を必要と感じる)かどうかは人それぞれです。それ以前に、細かな表現に疑問を感じたりするほどその文章に興味はないし、まして相手からの疑問に答えられるほど初めて読んだ文章について詳しいわけはありません。
ですから、受験生は、予備知識の全くない事柄に関して、本文の情報のみから、説明をしなければならないわけです。*2これは、普通の人には経験のないことでしょう。生きていてそんなことを求められる機会があるのかも疑問です。
続いて、2番の「相手の方がその文章について詳しいはずなのに、その相手がこちらに説明を求めてくる」についてです。
入試の現代文はテストですから、出題者は受験生に説明されるまでもなく、傍線部のもっとも優れた説明を知っています。知ったうえで受験生に説明を求めます。というか、出題者が最も優れていると思うような説明が最も優れた説明であり、それを満点の答案とし、それに近づく順に受験生の答案に点をつけるのです。
なんだか性格が悪い人のようですが、これも試験なのでしょうがないといえばしょうがないですね。
一番問題なのは、3番の「『相手のわからないところ』がわからない」です。
何かを説明するとき、必ず考えなければならないのは「相手」の存在です。
その説明の是非や優劣、「いい説明か悪い説明か」は、「相手がその事柄を自分と同じように理解してくれたかどうか」で決まります。説明の良し悪しは相対的なのです。
例えば「自動車」というものを説明する場合、
- 物理学者なら、内燃機関やらタイヤの摩擦やら加速度やらについてしゃべるでしょうし、
- 自動車学校の教官なら、運転の仕方や自動車と原付自転車・軽車両との違いなどについて教えてくれるでしょうし、
- 幼児の親なら、「くるまはとってもはやくてべんりだけど、あぶないからきをつけてね」と言ったり、手っ取り早くトミカを買ってやったりするでしょう。
それは、説明する相手が異なるからであり、説明される相手が学会の人や学生であるか、免許証を手に入れたい生徒であるか、車好きな子供であるかによって求められている情報が全く変わってくるからです。
それは、『なぜか』の説明でも同じです。
「なぜ自動車は走るのか」ということへの説明としては、
「内燃機関が燃料を燃焼して得た熱エネルギーを運動エネルギーに変え、動力を生み出しているから」とも言えるし、「アクセルを踏んでエンジンの回転数を上げたうえでクラッチを繋げたから」とも言えるし、「ガソリンがはいっているから」とも言えます。
そうやって、相手の求める情報を示し、自分が理解している事柄を相手にも同じように理解してもらえれば、その説明は「相手にとって」優れた説明です。相手に理解してもらえなければ、たとえ第三者がどんなにそれを褒めたたえたとしても、「相手にとって」優れた説明とは言えません。
つまり、出題者がどんな情報を求めているかがわからなければ、出題者が求めるような説明などできっこないということです。
しかも、テストの場合、前述のとおり相手(出題者)は明らかにこちら(受験生)よりその文章や傍線部を理解しています。相手にわからないところなどあるはずがないのです。そのうえで、「君の説明がどれだけよくできているか評価してあげるから、説明してごらん」と言ってくるのです。そんなやつにわざわざ説明してやる気にはならん!
だから、少なくとも皆さんが普段やっている「説明」は(そもそも説明などということを普段しないかもしれませんが)、現代文では不可能・不成立ということになります。ゆえに、「傍線部の説明」を通じて出題者が何を求めているのかがわからないと、解答を作りようがないのです。
これを4番「相手が本当に知りたいのは説明そのものではない」の説明とさせてもらいます。
では、出題者は何を求めているのか。
次回、解説します。
毎回いいところで終わってすみません笑
読解って何よ?②(相同表現)
こんにちは。
今回は、具体的な読解方法についてお話します。
読解でやることとは?
僕の考える読解においてやること、つまり問題文を読解するとはどういうことかというと、問題文の情報(内容と形式)を分類する(まとめ、選別する)ことだと言えます。
問題文の情報を「いる部分」(解答に使える箇所=文中の重要な箇所*1)と「いらない部分」に分け、さらに「いる部分」をより端的な表現にまとめ上げる(いわゆるラベリング)のです。
この分類を行う際、注目すべきことを述べます。
まず、文中の表現の形式に着目すると、
- 形式段落
- 指示語
- 接続語
- 構文
の四つが、読解の手掛かりになります。
そして、文章の内容に着目すると、
- 相同表現(繰り返される表現・似ている表現)
- 具体と抽象
の二つを認識できることが重要になります。
まず、「形式」1番の形式段落について。
著者は、文章を書くとき、全ての文を一つの段落で書かず、いくつもの段落に分けて文章を作っています。これは、段落ごとに何らかのまとまった意味があり、それに従って分けた方が読みやすいためだと思われます。だから、読解を行う際に、とりあえずひと段落読んでから、その段落を振り返るという形をとっていきたいと思います。
では、以下の文章を読んでみてください*2。
このひと段落の中に、何度も出てくる言葉があるのがわかりますか?
まず目につくのは「書籍」という単語。さらに、
「書籍」、「情報」、「書籍のデザイン」という三つの言葉が、他の部分と比べて繰り返されているのがわかります。これが、「内容」1番の相同表現です。(この場合、単語がそのまま繰り返されているため、内容というより形式に着目したものとも言えるかもしれません)
きわめて単純な話で、「何回も出てくるから、一回しか出てこない他の部分よりは大事なんだろう」という考えから、繰り返されている表現を見つけ出してきたのです。
相同表現が文中において大事な箇所であることの根拠は三つあります。
一つは、大事なことほどたくさん言ってしまうという人間の(というか言語の)性質です。このことは誰にでも賛同いただけるかと思いますが、あくまでも「だってみんなそうでしょ?」という程度の根拠です。
大事なのは二つ目で、それは、「繰り返された回数ならば、分類の基準として誰にも反論されない」ということです。
著者にしても出題者にしても受験生(著者にとっては自分の作品の読者)にしても、この三者全員が納得のいく文章の理解の仕方があるとして、それを求めるための基準を考えた時に、「この部分は繰り返されているんだから、他の部分よりは量的に(相対的に)重要だといえるでしょう?」という主張に反論ができるでしょうか。
基準さえ考えなければ各個人が自分にとって重要だと思うところを見つけてもいいのでしょうが、これは試験問題です。出題者の設定した重要な箇所(=答えに用いることができる箇所)を追跡しなければならないし、出題者だって受験生に追跡できないような箇所を重要だとみなしては試験の意味がありません。つまり、客観的にみて重要だといえる部分を答えの要素に設定するわけです。
ならば、その重要な箇所には、そこが重要であるといえるだけの根拠(基準)があります。その根拠が繰り返しの回数であるかどうかは出題者に聞いてみないとわかりません。しかし、「他と比べてこの表現は繰り返されているから、著者もこの部分を重要と考えていたのではないか」という主張には、繰り返しという目に見える事実があるため、説得力があります。
そして、三つ目の理由は、実際に相同表現を用いて解答を作成すれば、自分が納得のいく解答が作れるうえに得点できるということです。「やっぱり出題者も同じ考えだった」ということが確かめられます。これは、次回、解答の作製方法についての記事で詳しく説明します。
さて、皆さんもお分かりの通り、これはある文章の第一段落です。これが問題文で、ここで文章が終わっているのなら、ここで読解は終了なのですが、実際には先があります。
大事なのは、最後まで文章を読んでみないと、それまでの読解が正しかったかどうかはわからないということです。段落ごとの読解が、文章全体の読解にどれだけ有用かは、文章全体の読解が終わってからでないとわからないのです。もっと具体的に言うと、段落ごとの読解を丁寧にやると、文章全体の読解には必ずしも有用ではない部分に時間をとられてしまう可能性があります。あくまでも「それまでの手掛かり」として段落を読み進めていってください。
では、この文章の続きを読んでみましょう。
続いて第二段落。ここでも先ほどと同じように、繰り返された単語に注目すると、
一番多いのは「紙」で、そのほか「ニュートラル」「メディア」「物質性(物性)」とあります(塗り忘れましたが「性質」や「平面」もそうですね)。第一段落でこれでもかと出てきた「書籍」は一つもありません。この段落はどうやら「紙」についての話をしているようです。
そして、今回は相同表現のもう一つの種類である、「似ている表現」が出てきています。
「メディアとして」「ニュートラルな…紙」「素材(物質性・物性)ではない」という内容が、この一段落の中に何度も繰り返されているのがわかると思います。似たような表現が繰り返されているのです。
相同表現の場合、このように、文中の中から相同表現を「見つけ出す」ことが「問題文の情報を選別する」ことにあたり、それらを「形は変わっているが同じことを言っているのだ」と認識し、解答を作る際に端的な表現で表すことが「問題文の情報をまとめる」こと、「ラベリング」にあたります。
ちなみに、「メディア」とは「媒体」のことです。「メディア」と「媒介物」が同じことをさしているということに気づきましたか?語彙力はこういうところで必要になります。
そう言われれば当たり前のことだが?
ここで思い出していただきたい大事なことがあります。受験生にとって最も大切なのは、文字の羅列である問題文をただスラスラと読むのではなく、問題文の中からこれらの表現を見つけ出そうとすることです。
今書いたことは、そう言われればだれしも理解できることです。しかし、受験生は、相同表現を含めた「文中の重要な部分」を、自力で見つけ出さなければならないのです。そのためには、前回のブログで書いたように、問題文を地図のように見立て、文の内容や形式を客観的に分析(「これは○○表現だ、ここは重要だ」等)する態度を身につけることが必要です。
この態度を会得すれば、現代文の「学力」を伸ばすことができるようになります。「こういう文章が出てきたときはこんな風に読解すればいいのか」ということがわかれば、それが知識として積み上げられていく(現代文と他の科目との決定的な違い。 - 現代文に文句を言うブログ)のです。問題文や設問にもタイプがあり、それごとの読解・解答方法を覚えていけば、現代文の問題を知識で解くということが可能になります。
その態度を身につける方法とは?
しかし、今まで何も考えず読書と同じように文章を読んできた人にとって、「客観的に読む」態度はすぐには身につきません。僕もそうでした。そういう不慣れな方におススメなのは、問題文に線を引いたりメモをしたりすることです。
地図上で目的地を探す場合、見つけたらそこに印をつけたりしますし、目的地までの道のりとなる道路になぞって線を引いたりすると思います。それと同じことだと思ってもらえばいいでしょう。
赤線が、鉛筆やシャープペンで書いた筆跡だと思ってください。このいわゆるマーキングという作業の利点は二つあります。
- 受験生(読者)の視線・読解過程が可視化され、目に見える形で読解できる
- 最後まで読んでもその段落での読解を思い出すことができる
ただ、たくさんマーキングしてしまうと問題文がぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなります。相同表現の場合、見つけた後は最も端的にまとまっているだと思われるものだけを残し、他は消しゴムできれいに消してしまった方が見栄えがいいかもしれません。
慣れるとマーキングは不要になったり、すっきりとしたマーキングが初めからできるようになります。
どこまで読解すればいいのか?
ここではっきりと言っておきますが、読解に100パーセントはありません。大学の入試問題の解答速報を予備校の発表別に比べてみてもわかる通り、現代文のプロ(を自称している)人たちの中でも、その答えはまちまちです。なにより大学のなかにも答えを発表しないところがあるので、そこを志望する受験生は、ゴールが曖昧なうえに(自称)プロでも意見が分かれる事柄について、ゴールにできるだけ近づいて行かなければならないのです。自分の進路をかけて。
そんな世界で何を目指せばいいのかですが、僕は「自分が納得できるまで」としか言えないと思います。何せ答えを教えてくれないのです。受験は大人がつくった制度です。受験生には自身の進路がかかっています。なのに、明確な答え(ゴール)を設定せず、受験生に解答の道筋(ガイドライン)も示せないまま、自分たちの求めるところまでたどり着けというのですから、大人げないとしか言えません。やはり現代文という科目(「読解」が必要な文系科目全体に言えるかもしれませんが)に欠陥があると思うのですが、そんなことを言っても始まりません。
受験生ができることは、「自分はここまできれいに文章を『読解』することができた。きっと出題者が求めている答えに『合格できるレベルまでは』近づけただろう。これでダメならもうしょうがないな」と思えるような、自分が納得できる読解・解答作成をすることだと思います。受験生の皆さんは、自分で実践できて、自分が納得できるような文章の読み方を、自分で身につけなければならないのです。あなたが本番で不合格になってしまったとして、それまでどれだけエラそうに受験を語ってきた教師や、教師を含めた大人たちは、誰もあなたの不合格に責任を負ってはくれません。自分が納得できるレベルの読解ができるようになっていただきたいと思うし、大人の言うことは取捨選択しなければならないと思います。このブログの中で、少しでもあなたの役に立つ部分があれば幸いです。
今回も長くなってしまいました。次回は、この論説文の続きと、その他の読解の注目点について解説しようと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。
プレミア12も決勝ですね。がんばれ、日本!